鍼師を目指すまで その2

その後、学生時から、勉強会に足を運ぶようになり、東洋医学の世界を知れば知るほど求めていた医療であることだと感じました。
アトピー性皮膚炎に根本的な治療法はありません。しかし、辛い痒みを緩和する対症療法が存在するだけでも、私にとっては大きな救いでした。現代の医学はすごいということは体感していましたが、一方で、その薬のために白内障を引き起こしたことも事実。入院した時も、術後のアトピーに関するフォローをしてくれていればもしかしたらこんなことにはならなかったのではという思いは拭えません。というのも、入院時、術後の痒みについて、不安があったため、主治医にそのことを相談しました。しかし、専門が違うので対応はできないと言われそれ以上相談には乗ってもらえませんでした。現代の医療システムが専門性なので、対応してくださった医師が悪いわけでなく、ルールに従った対応をなさっただけだということは今は理解できていますが、当時はとても不安になったことを覚えています。
そんな経験をしていたので、前人的なしかも、前進心もひっくるめて観察し、全体の調和を図ることが重要だという視点に、感銘を受けました。しかも、季節・天候の変化や、強いストレスによって明らかにアトピーの状態が左右されていた現象について、それまでは納得のいく説明を聞いたことがありませんでしたが、東洋医学の理論で、見事に説明がついていたことにも驚きました。
知るほどに奥が深く、一人前の鍼師になるには十年以上要する世界であることを教わっても、それでも東洋医学をものにしたいと強く思うようになっていきました。
しかし、非常に繊細な感覚と、体全体を使いこなさないと成り立たない技術の会得に苦しみました。
当時アトピーがまだまだひどかった私の掌は、グローブのように腫れあがり、ボロボロでしたので、ふつうの人よりも感覚がにぶかったのでした。
冷たいのか熱いのかもわからない、硬いのか柔らかいのかもわからない、掌は汗ばんでベタベタ。自分の掌のササクレが相手の肌に引っかかる感覚だけならわかる。という程度のレベルでした。
何度も自分には向かない世界だ。もう止めたい。辛い。と折れそうになりながら、持ち前の忍耐力と、中学時代に体験したあの体験に比べればましだとむちを打ち、勉強会に通い続け、根気よく治療も受け続け、徐々にアトピーも緩解に向かい、少しずつましな掌になっていきました。一流の先生のようなフワフワして温かいパンのような掌に至るまではまだまだですが。

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