様々な病に苦しんだ子供時代 その3

中学では目が悪いことをできるだけ隠そうと思い、入学時、担任の先生に目のことをできるだけ言いたくないことを伝えました。できるだけ特別扱いしないでもらいたいとも言いました。両親も教師もきちんと話したほうがいいと説得されましたが、どうしても受け入れることができず、かたくなに拒みました。
クラスでは一か月もしないうちにカーストが出来上がり、当然私は最下層で、たぶんワースト1,2を争うレベルでした。なにせ、分厚いメガネ、デブ、アトピーで肌荒れ、根暗で無口で不愛想、運動音痴、ネガティブ要素をフル装備したようなキャラでしたから。
当然、いじめにも合いました。視力も落ちてきていて、日に日に黒板の字が見えなくなっていきました。授業にもついていけなくなって、テストの成績ものびた君レベルに。ガチで試験を受けて、0点って逆に取るのが難しいと言われますが、それをやってのけたこともありました。
唯一のオアシスだったマンガとゲームですが、この頃にはマンガは読めなくなっていましたし、ゲームも、視力の低下とともにできるものが減っていきました。当時それでもプレイできたのが、ドラゴンクエストでした。とりつかれたようにやりこんでいたような気がします。
学校はつまらないしいじめられるの怖いし、目は見えなくなるしアトピー辛いしが重なって、だんだんと心もおかしくなっていきました。
月に何度も学校を休むようになり、一日中部屋の電気もつけずに無気力になったり、かと思えば狂ったように笑ったり、やたらとイライラして物に当たったり、死にたくなったり、でも人に暴力をふるったり、非行に走ったりする勇気もなく、視力もなく、ただ内側でもやもやを暴発する日々でした。
あの時、死を選択しなかったのは、選択する勇気が持てなかったことと、それでもほんの数人だけ心を許せる友達がいたことだったと思います。あとドラクエがやりたかった。
ちょっとしたきっかけさえあれば、死を選択していたかもしれないと今でも思います。
心が折れそうになりながらも、このままでは嫌だ、悔しいという思いが一方で日に日に強くなっていきました。このまま耐え続け、親にも、先生にも友達にもこのことは隠し通して卒業すると心に決めました。今思うと、気付かれていたかとは思います。
なんでかわかりませんが、ぽきっと折れそうで折れない忍耐強さが備わっていたようです。
超最下層の立場は変わりませんでしたが、中学2年の後半以降は、少しずつ友達も増えて、いじめもなくなり、中学最後のほうは楽しいと思えるくらいに復活。相変わらずきもいと言われ続け、となりの座席の女子からは机と机の距離を最後まで異常な距離を置かれたままでしたが。
根暗なりにかなり奮闘したと思います。卒業式の時、みんなとは別の理由で号泣したのを覚えています。辛い中、よく通い切ったねという妙な達成感でした。