様々な病に苦しんだ子供時代 その4

さすがにもう一般の学校は無理だと判断し、特別支援学校に通学を決めました。
心身共に傷だらけだった私にとって、この盲学校の環境は非常に癒しになりました。
少人数であることと、特別支援の名の通り、個々の特性を加味しながら教育をするシステムだったため、0だった学力に合わせた教育と、弱視でも過ごしやすい生活補助用具を身に着け、何よりスクールカーストなるものが皆無だったことがありがたかった。
入学したてのときは、特別支援学校ならではの独特の空気感にとまどい、一人教室で過ごす日もありましたが、屈託なく声をかけてくれる先輩が、私のたどたどしいゲームの話題を楽しそうに聞いてくれ、それがきっかけでなじむことができたのを思い出しました。いつでも友人の存在は偉大ですね。
目を使わないスポーツを体験し、実は運動音痴でないことがわかり、補助具を使った学習で、実は勉強ができないわけじゃないことがわかり、カーストと無縁の生活になり、自分らしいキャラが出せたら、友達はたくさんできて人気者にまでなれて、だんだんと表情豊かな多弁なキャラになっていきました。
今までの辛い環境はなんだったのかと思うくらい、居心地のいい環境でした。居心地の良さにすぐに順応し、せっかくの勉強できる環境はそっちのけで、結局勉強はほとんどせず。ほとんど運動部と友人との日々の遊びで時間は過ぎていきました。
ただ、変化というものは良い面だけではないですね。あれだけ好きだったゲームはもうその頃の視力ではもうプレイできなくなっていました。ちなみに、全盲でもゲームをする強者もいます。
18才時、視力は現在とほぼ同じ状況となり、左右共に0.01以下となりました。しかし、視力の低下と反比例するように私の人生は充実した幸福な日々へとなっていきました。ここまでが子供時代のストーリーでした。ここまでお読みくださり、ありがとうございました。次回から、鍼師になるまでの道のり編です。

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